感情言葉の使い方(過去の話をする時は気をつけましょう)
リブログです(抜粋、引用転載)
心当たりがあったら言葉の使い方を変えてみてください。
良い習慣に変えて、どんどん記憶を上書きして行きましょう。
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ココから抜粋引用転載↓
過去の出来事の話しをするときに、感情の単語をぜんぶ過去形に変換すると、なんと自分の弱点が分析ができなくなってしまうのです。
この文章を読んでみてください。(感情の単語、過去形変換)
「わたしがこういう状況だった時、あなたはこんなことを言った。すごくさみしかった。」
「わたしがこういう状況だった時、あなたは何もしてくれなかった。すごくさみしかった。」
自分がどんどん犠牲者になっていくのが分かりますか?
次に感情の単語を省略してみましょう。
「わたしがこういう状況だった時、あなたはこんなことを言った」
「わたしがこういう状況だった時、あなたは何もしてくれなかった」
こちらも自分がどんどん犠牲者になっていくのが分かりますか?
では今度は感情の単語を現在形に変換してみましょう。
このとき、現在形の感情のことばで文章が成り立つように、前後の文章を調節します。
「わたしがこういう状況だった時、あなたはこんなことを言った。この言葉はすごくさみしい」
「こういう状況のとき、何もしてくれないと。わたしはすごくさみしい」
こちらは、さみしい思いをしていることに変わりはないのに、犠牲者になっていないのが分かりますか?
【引用元】
股関節さんからのメッセージ(2) - 解読カイロプラクティック (旧調布カイロプラクティックオフィス)
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つらいことや、さみしいこと、嫌なことは、誰にでもあります。
つらいことを思いだしながら、それを、つらかったと変換した瞬間に、自分は犠牲者になります。
分析されないその記憶は、器の中に残りつづけます。
それは、自問自答中の感情の言葉でも、過去形を使う度に積み重なります。
友人や家族に愚痴を聞いてもらう時の感情の言葉でも、過去形を使う度に積み重なります。
そしてあっという間に器は犠牲者になった記憶でいっぱいになるのです。
その状態のときに、さらにつらいことが重なると、
大爆発が起こります。
ー省略ー
それでは、感情の単語を過去形変換する人と現在形変換する人の違いはどこで生まれるのでしょう。
それは、ことばの環境です。
子どもの頃、まわりの大人が感情のことばを過去形で表現していると、そのことばを覚えるのです。
では、まわりの大人が悪いのかというと、そうではありません。
おそらく、その大人が子どもの頃、まわりの大人が感情のことばを過去形で表現しているのでしょう。
聞いていないことばは、誰も使うことはできないのです。
【引用元】
感情の単語を過去形に変換する人が住んでいる世界 - 解読カイロプラクティック (旧調布カイロプラクティックオフィス)